メンツィカンでは毎日夕方3時、夜9時に学食でチャイが振る舞われ、お喋りに花を咲かせる。そのとき、同級生が肘で「おい」と僕の脇腹をつつくとチャイが入ったカップを脇に置いて直立した。向こうからは白いアンバサダー(車種の名前)がやってくる。食堂の前で止まり後部ドアが開いた。少し間をおいて降りてきたのは僧衣を羽織ったサムドン・リンポチェだ。チベット亡命政府の首相である。よりによって学食の隣に質素なご自宅があるため、僕たちはチャイもおちおち飲んでいられない。首相はそのままご自宅へ入られるかと思いきや、近くで遊んでいる子供を見かけると、歩みよって声をかけられた。首相の子供好きは有名だ。その光景を僕たちは直立不動のままで眺め続けなければならなかった。
2001年チベット亡命政府において、首相(チベット語でスィンジン)を選出する初めての総選挙が行われた。投票権を持つのはインド、ネパール、日本、欧米諸国に在住のチベット難民。それまでは事実上ダライ・ラマ法王が政治と宗教のトップに立っていたが、この直接選挙は法王が政治的に第一線から引退することの象徴としての意味合いも帯びている。そして、4人が立候補し、その中で唯一の僧侶であるサムドン・リンポチェが当選した。サムドンがお名前でリンポチェは「高貴な方」という意味を持つ一般尊称である。(以下、リンポチェと記す)。
メンツィカン創建者のイシェ・ドンデン先生(右)
僕がはじめてリンポチェにお会いしたのは2002年3月、メンツィカンに入学し最初の創立記念祭のときのこと。祝辞とは名ばかりに「メンツィカンは近年、病院を増設し、多くの施設を立てているようだが、それは大切なことではない。建物はいつか滅びる。大切なのは教育だ。教育に力を入れなさい」と経営陣を手厳しく批判し、講堂には緊張感がみなぎった。事実、この時期、メンツィカン経営陣は教育への関心がとても薄く、医学生のあいだには不満が蓄積されていた。このとき何度も繰り返されたお言葉「ジンキョン・レ・ロブチョン(経営よりも教育)」は、不満を抱いていた学生の溜飲を下げさせるとともに、未来への希望を抱かせてくれたものだった。さらに首相は、このとき来賓インド人のためにスピーチをご自身でヒンディー語に翻訳して語り始めた。僕はヒンディー語をまったく理解できないが、そのお話しぶりと、来賓インド人たちの感心具合からもレベルの高さが伝わってくる。実際、式典後にサンスクリットを得意とする同級生のンガワンが「リンポチェのヒンディー語の中には、高尚なサンスクリット語も織り交ぜてあって文学的にも素晴らしい」と首を横に振りながら畏怖の念にひたっていたものだった。リンポチェが首相であることで、チベット難民に対するインド人からの印象がよくなるのは間違いない。まさにチベットの魅力であり武器とは「学問」なのだ(第87話)。
2012年10月に開催された国際チベット医学会議(クリックすると3.1MのPDFファイルをダウンロードします)においてもリンポチェはチベット医学の現状を厳しく批判した。檀上に上がってからリンポチェはすぐには言葉を発しない。鋭い眼光で聴衆を見据える。みんなの心の準備ができるのをじっと待っているようにもみえる。この「間」の取り方が絶妙だ。そして一語一語を確かめるようにゆっくりと語りはじめた。「チベット医学の秘術だ、口伝だというのは大切なことではない。一人一人が四部医典の学びを忘れずに暗誦できていること、それがアムチの条件ではないのかね。もうひとつ、最近のアムチは自分で薬を作ることをあまりしないようだ。自分で山に入って薬草を採り、薬を作ることはアムチとして大切なことではないかね」。詰めかけたアムチ一同、恐縮するしかない。リンポチェはけっしてお世辞は語らない。学び続けること、薬を作り続けること、それがアムチの資格である。僕はリンポチェのお言葉の真意をそう解釈するとともに、少し怠慢になっている自分の身を顧みた。そして、今回は来賓の欧米人のために高尚な英語でスピーチされ、参列者一同、またしても恐れ入ったのである。
中央がサムドン・リンポチェ
ほとんどのチベット人がそうであるように、僕もサムドン・リンポチェを心から尊敬し、憧れを抱いている。指導者として、学者として最高に格好いいではないか。日本では本田やイチローが格好いいからサッカーや野球選手に憧れるように、チベットの若者は首相が格好いいから、政治や仏教に当然のように関心を持つのだろう。日本人として、ちょっとだけ羨ましいな。
(参考)
メンツィカンは55の分院を経営する会社であり、現在は600人もの医師・従業員を抱えている。僕たちが学んだ大学はメンツィカンの大きな組織のなかの新人医師研修部門(70人)にあたる(第41話)。2002年以降はさまざまな教育改革が行われている。
サムドン・リンポチェは2期10年間、お勤めされて2010年に退任された(3期以上の再選は不可)。後任には44歳のセンゲ氏が選挙で選ばれている。
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