映画館で『うんこと死体の復権』(監督 関野吉晴)を視た。野糞をする人々と生々しい排泄物が冒頭から次々とスクリーンに大写しされ、そのたびに会場からざわめきと笑いが起こった。誤解のないように補足すると、野糞と動物の死体が分解され土に帰っていく過程を丁寧に解説したドキュメンタリーであり、けっして「野糞の勧め」が映画の主題ではない。ちなみに自分にとって野糞は特別なことではなく、20代に望月町(現・佐久市)の農場で働いていたときには、やむを得ず畑の片隅で用を足すことが多々あった。周囲に豊富に生えていたヨモギでお尻を拭いていたところ、これがなかなか快適。ヒマラヤ薬草実習でも大自然のなかで用を足すのが普通だった。
ジグメとの話を終えるとテントの外へ出た。日本では体験したことのない真っ暗闇が僕を包み、でもそのおかげで遠慮なく小便、ときには大便もすることができる。空を見上げるとまさに満天の星空。星の数が多すぎて星座を見つけることさえできない。

チベット語でウンコは口語でキャッパ、幼児のものはアカという。喧嘩のときの「キャッパ サー!(喰らえ)」という常套句は、日本語「糞くらえ」との共通項であるけれど、たぶん、人類学的にはどうでもいいことだろう。「チベットでは高僧の大便や小便を薬として用いるというのは本当ですか?」という問いをいままで数回受けたことがあるが、少なくとも現代では無いと断言できる。20世紀初頭にチベットに潜入した河口慧海、ハインリヒ・ハラーが著書のなかで言及しており(注1)、ここから噂が広まったと考えられるが、当時は実際に薬として用いていたのかもしれない。事実、八世紀に起源を有する『四部医典』には人間を含めた動物糞の効能が述べられている。仮にそうだとしても、真っ黒に炭化してから処方していたのでご安心を。または、高僧の小便は「チャブ(お小水)」、大便は「チャブ・チェン(大)」と称する尊敬語が存在することや、ヤクの糞を燃料とする高地独特の風習があることから(第199話)、チベット社会には特有のウンコ文化があるのではという想像が膨らんだ結果だとも考えられる。ちなみに日本の小中学校では男子がトイレで大便をするのを恥ずかしいとする不思議な風潮が根強くあるがチベット社会ではまったく考えられない。
2016年、森のくすり塾のトイレは設置費用が断然安いこともあって浄化槽式ではなく汲み取り式を選んだ。業者が汲み取り槽を見つけるのに苦労し、「撤去はたくさんやってきたけど設置は12年ぶりだ」と楽しそうに語っていたのが印象に残っている。汲み取り式といってもご心配なく。トイレは近代的な簡易水洗で壁はサワラの木材を使用して清潔感にあふれている。都内の医学生10人が訪れたときのこと。ちょっと面白がって「汲み取り式だよ」と教えたところ、その日、誰一人としてトイレを使わなかった。この医学生たちは将来、過疎地への赴任は不可能だろう。ちなみにこの映画監督の関野さんは現役の医師であり冒険家である。

森のくすり塾のトイレ
バキュームカーも何のことだか学生たちは誰一人として知らなかった。こちらもご心配なく。当塾が契約しているバキュームカーは最新式の空調設備を整えているおかげで、まったく匂わない。外観も近代的でかつての臭そうなイメージはまったくない。65歳くらいのおじさんもまたお洒落で気さくで、積極的に負のイメージを払拭しようとしているのが伝わってくる。「人が生きている限りこの仕事はなくならないよ」と誇らしげに語ってくれた。汲み取り式の欠点はたびたび直径50センチの丸い蓋を開けてチェックしないとあふれてしまうことにあるが、長所は安価なことに加え、電気水道に頼っていないので災害に強いことにある(注2)。さすがに野糞までいかなくとも、里山への移住に際して、あえて汲み取り式にするのはお勧めです。

最新式バキュームカー

汲み取りホースを伸ばす
今回は匂う話ですいませんでした。
注1
高等なるラマ達の大便は決して棄てない。また小便も決して棄てない。大小便共に天下の
大必要物である。その大便は乾かしていろいろな薬の粉を混ぜて、そうして法王あるいは
高等ラマの小便でそれを捏ねて丸薬に……後略 『チベット旅行記(三)』(河口慧海
講談社学術文庫 1978)
注2
あふれ出たときは近所大迷惑の大災害となります(涙・笑)。なお、汲み取り回数は使用頻度
によりますが年間に3、4回、一回の料金が約1万円です。
余談
関連書籍として『べんけい飛脚』(山本一力 新潮文庫)がお勧めです。江戸時代、何千
人が移動する参勤交代に際してのトイレ事情が詳しく描かれています。
リンク
映画:「うんこと死体の復権」
小川さんの講座
アムチ・小川康さんのオンライン講座
《オンライン連続講座》アムチ・小川康さんの ~チベット医学・薬草紀行~(全4回)